ワンルームで甘いくちづけを
2.秘密
2−3
前回会った時よりさらに冷たい風が吹くようになった。
私は思わず首を縮めて、体がその冷気に慣れるのを待った。
斗真さんに握られた手が暖かかったから、何故かその温もりで変な緊張感を抱くのは免れた。ただ、ちょっとドキドキしてしまったのは否めない。
「ごめん、いきなり弟なんか連れてきて」
そう言った言葉は、どことなく斗真さんらしくないものだった。遠慮しているというか……何か言いたい事があるのかなと思わせる雰囲気。
「いえ。とても快活な弟さんですね」
「……まぁね。愛嬌だけは誰にも負けない奴だよ」
確かに。笑顔が光るように眩しくて、斗真さんと同じ瞳をしつつ、彼が見せる憂いのようなものは見当たらなかった。
「あのまま……あいつの良さを失わないで生きていってくれればいいんだけど」
これは、普通に弟を心配する兄の言葉だろう。
ちょっと手がかかるけど、やっぱり可愛い……そういうニュアンスを感じて、何故か私の心は少し暖かくなっていた。
「良かった」
そう言ってニッコリ笑った私を見て、斗真さんは驚いて立ち止まった。
「何が良かったの?」
「え……その」
(冷血漢に見えた斗真さんが弟の優耶くんを愛している様子なのを見てホッとしました)
なんて本心は言えなくて、私は口をパクパクさせた。
「ま、いいや。それより今日はランチを一緒にって思ってるんだけど……どう?」
まだ話途中だったけど、斗真さんはそれを打ち切るように話題を変えた。
「はい、私もそのつもりで今日は来ましたから」
「なら良かった。じゃあフレンチレストラン予約してあるんだ、行こう」
「え、フレンチですか!?」
情けなくも心臓がバクバクっと早くなる。肉と魚で使うナイフが違うとか……私には分からない。
でも、そんな私の心配を予想していたように斗真さんは握っていた手に力を入れて安心させてくれた。
「大丈夫。食前酒のワインで緊張は解けるから……それに、マナーとか気にしなくていいお店選んであるし」
「あ……う……ありがとうございます」
異性とワインを飲みかわすなんて職場での飲み会でもあまり無い事だったけど、斗真さんのリードが自然だったから……私の心も自然に落ち着いた。
大人の男性の気遣いに、私はただただ甘えてしまった感じだ。
斗真さんが連れて行ってくれたお店は本当にカジュアルなフランス料理店で。お店もそれほど広くないし、店員さんも気さくな雰囲気だった。
「おいしい!」
生まれて初めて食べるテリーヌが美味しくて、思わず声をあげてしまった。
「喜んでもらえて良かった」
「はいっ、何か……知らない世界を知ってしまった……みたいな感じです」
「大げさだな」
クスッと笑いながら、彼も上品に食事を口に運ぶ。さすがに食事中の喫煙は控えているみたいだけど、テーブルには彼の安定剤みたいにライターが置かれている。
(ジッポライター……ライターの種類まで祥平兄さんと一緒)
初対面ではあんなに印象の悪かった人なのに、彼のくわえる煙草と時々見せる微笑みが私の心を少しずつ揺らしていた。
この年齢になっても恋というものの正体が分からない。
ドキドキして……息も苦しいくらいの気持ち?その人を考えると夜も眠れなくなって、メールに一喜一憂して。
そんなに苦しいのに……時々甘いトキメキがあって。
(……やっぱり良くわからない)
自分の心に起きている事を探ろうとしたけれど、途中で諦めた。
斗真さんに対して警戒心が消え始めているのは確かだけれど、これが恋だと確信出来るほど私は恋を知らない。
「食事が終わったら、少し歩きながら……話をしようか」
「はい」
「実はまだ菜都乃に告白しきれないでいる事があるんだ」
「そう……なんですか?」
和やかに食事をしていた空気に、少し緊張が走る。斗真さんの表情に余裕が無くなったのを見て、私もゴクリと息を飲む。
「もしかしたら、これを聞いて君が俺との付き合いを断る可能性もあると思ってる」
「……」
前回の話で、お互い秘密は暴露し合ったつもりだったけど。斗真さんにはまだ打ち明けきれずにいたものがあるようだ。
それが一体何なのか……私には想像も出来ない事だった。
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