二度めの恋は大胆に

3.告白

 バーから帰り、佐奈はまだ夢を見ているような気分でコートも脱がないままソファにドサリと倒れ込んだ。
 こんなに心臓が早く打ち付ける感覚は久しぶりだ。
 マラソンをいきなりやらされたような感覚。そうだ……初恋の時も同じような感覚になったのを思い出す。
「やっぱり、これって恋の始まり?」
 本来ならもっとウキウキしてもよさそうなものだったけれど、佐奈の心はあまり上に向かない。
 なぜなら、恵一扮するクロードは本当に店で一番人気で…まともに語れたのは十五分程度だったのだ。だから、彼が知りたいと言っていた佐奈自身の事はほとんど話せず、「今度は一緒にダンスでも踊りましょう」なんて言葉を残して彼は別のテーブルへと去ってしまった。
 ダンスなんて踊れない。でも、瑠奈は「クロード様から手ほどきされればいいじゃない!」なんて陽気に言う。
 彼女の情報によると、恵一はプランセスのオーナーの息子なのだそうだ。事業はバーだけでなく、大きな観光ホテルなども経営する大手会社の御曹司だったのだ。
「どうして、そんな彼がサラリーマンやったりバーの王子をやったりしてるの?」
 もっともな疑問を口にしたところ、瑠奈はこれまた詳しく語ってくれた。
「オーナーがね、めっちゃ厳しい人らしい。クロード様には全事業を次いで欲しいみたいだし、その為にあらゆる現場を経験させたいし、一般市民の生活も知っておいた方がいい……みたいな趣旨らしいよ」
「へえ」
 自分とは縁が無い人だ。
 どう考えても、彼氏っていう可能性もなさそうだ。
 
 こんな理由で、心はドキドキしているのだけれど…気持ちはやや憂鬱という変な気持でソファの上に寝転んでいる。
 明日は日曜日。
 天気がよければ、またあの喫茶店に行こうと思っていたけれど、こんな展開になってしまうと…どうしたらいいのか迷う。
 もちろん恵一はクロードの顔を消すだろうし、会社での姿とも違う自分を見せるに違いない。
 小さい頃からマナーを教え込まれているのか、何をやらせても彼の行動や言葉はそつがなくてスマートだ。あの甘い誘いに乗ったら、ライバルが何十人も出てきそうで……そういうのと争う事も面倒だなって思ってしまう。
「片思いくらいしてもいいのかな」
 あまりに自分の気持ちを抑えつけるのも不自然な気がして、佐奈にしては少し積極的な気持が出ていた。
 恵一は軽率に異性を自分の領域に入れるタイプではない。いつでもマイペースを守り、他者に気を配りながらも親しくなりすぎない調整を無意識にやっているように見える。
 そんな彼なら、佐奈のようなタイプでもうまく応対してくれそうで。
 「佐奈ちゃんが気に入ると思うから」と言った妹の瑠奈の見立ては間違っていなかったという事になる。



 日曜日。
 雨だったら部屋に籠ろうと思ったのに、悲しいくらい外は快晴だ。
 風は寒いけれど、あの喫茶店の窓際はいつでも温かい。その安らぎを求めて、佐奈は出かける支度をした。
 それでも、いつもより少しは気を使ったスタイルにしていて……甘めのチュニックを着た。ずっと使っていなかったイヤリングも出してきてさりげないアクセサリーにした。
「何か期待してるみたいで、恥ずかしい」
 いつもよりややお洒落してしまっている自分が恥ずかしくて、鏡の前からそそくさと姿を消し、お気に入りの本を片手に外に出た。

 思った通り風はかなり冷たかったから、目的の喫茶店に到着する頃には鼻の頭が赤くなるほどだった。
「こんにちは。今日は冷えるねえ」
 マスターがコーヒーを注ぎながら佐奈にそう声をかけた。
「本当に。自分のアパートにいても寒いだけで…ここが一番くつろげます」
 お気に入りの席が確保されているのを見て、佐奈は笑顔でそう答えた。他の席も見てみたけれど、恵一が来ている様子はない。
 少しがっかりしつつ、それでも少しほっとしつつ……複雑な心境で佐奈はモンブランとカプチーノを頼んだ。

 今読んでいる恋愛小説。
 主人公はドジでぽっちゃりの、あまりモテた事のない女の子。でも大人気俳優と結ばれる……というシンデレラストーリーだ。もう八割くらい読んでいて、主人公はとうとう相手の親からも世間からも公認の仲になるという場面。主人公がここまで紆余曲折を知っているから、佐奈は涙を浮かべつつ祝福したい気分になっていた。
 美味しいカプチーノを口にし、ほうっとため息をつく。
 自分が幸せな彼とラブラブになれた妄想に酔っていたら、隣の席に男性がスッと座ったのが分った。
「あ、荷物置いちゃってごめんなさい」
 自分のカバンが隣の席に倒れているのを見て、佐奈は慌ててそれをどけた。
「いえ。大丈夫ですよ」
 声に聞き覚えがある。このソフトで溶けそうな声をしているのは……
「こんにちは」
 すっかり二十二歳の様相をした恵一が上品に微笑んでいる。他の席も空いていたけれど、明らかに彼は佐奈の隣りに座ろうとしてここに来たのが分った。

 本のラストシーンに涙していたのを目撃され、佐奈は慌ててハンカチで目頭を押さえた。
 そんな佐奈を見て、恵一はゆったりした調子で尋ねてきた。
「本、お好きなんですか?」
「あ……はい」
「僕も結構好きですよ。でも、本当に好きなのはこの喫茶店そのものですね」
 いつから通っていたのか、恵一にとってもこの喫茶店は居心地のいい場所らしい。
「マスターのコーヒー美味しいですし。綺麗な人が読書している姿も見られますし」
「え?」
 最後の台詞はさすがに恵一も照れた表情をした。
 お世辞だろう。
 お世辞くらいスラスラ言えるスキルを持っている人だ。佐奈は彼の言う言葉を本気にすまいと必死に揺れる自分の心を抑える。
「ここは職場でもないですし、変な気をまわさないでくださいね。色々な顔を持っているのは認めますけど、この喫茶店での僕は素の状態に近いんで……結城さんとはここで親しくなりたいなって思ってたんです」
「はあ……」
 彼は自分が七つも年齢が離れてる事を知っているんだろうか。
 それに、綺麗な人なんて形容されたのも初めてで、どう答えていいか分らない。
「妹さんの言葉を聞いて、思ったんですけど」
 急に真面目な顔になって、恵一は佐奈を正面から見据えた。
「恋愛って桜の木みたいなものですから」
「桜の木?」
 突拍子もない恵一の話に、佐奈はきょとんとしている。
「春…ほんの一瞬咲く見事な花。誰もが見とれて、誰もが夢中になる。でも、すぐに雨や風で花びらはハラハラと落ちて…冬になる頃には枯れ木になりますよね。でもね…ちゃんと水と栄養がいきわたれば、次の年にはもっと素晴らしい花を咲かせるんですよ」
「……」
 恵一の恋を形容する風景を思い描いてみる。
 確かに、最初夢中になり始めの頃は満開の桜を見ているような気分だ。でも、それが落ち着いてきて、青い葉が落ちて、気がつくと何もないように見える……これが恋の終着駅?
「僕が言いたいのは、恋は何度でもできるって事なんです。そして、恋に終わりがきても、その土壌に残った栄養で愛を育てていけるんです。花を咲かせるのを怖がっていたら、木も枯れてしまいます……」
「それって、私の恋愛恐怖症の事を言ってくれてるんですか?」
 顔を真っ赤にして、佐奈は食べかけのモンブランを残してうつむいてしまった。
 年下の青年から自分の恋愛を指導されるなんて……正直、プライドが傷つく。
「いえ。そうじゃないです」
「じゃあ……何なんですか?」
 恵一に当たるつもりはなかったけれど、言葉が少しきつくなってしまう。
 自分を防御する癖が抜けないのだ。恵一はそういう佐奈の様子を全て理解しているようで、落ち着いた声でゆっくりと言った

「結城さんが嫌じゃなければ……僕と付き合ってくれませんか?」

「え?」

 あまりに予期しない言葉だったから、佐奈は心臓が停止寸前…っていうところまで驚いた。

「あなたが僕に気付くずっと前から、僕はあなたを見てましたよ。心の優しい、純粋な方だなあと思っていて……こんなに出会うチャンスが続いたのだから、きっと縁があるのだろうって。そう思って、今日はあなたに心を打ち明けるつもりで来ました」

 人気ナンバーワン王子からの告白。
 佐奈はまだ夢の途中なのかと思って軽く頭を叩いてみたけれど、どうも夢ではないようだ。
 
 この告白……どう受け取ればいいの?


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