二度めの恋は大胆に


2−2 刹那的な王子

 土曜日。クロード王子を独り占め……そんな甘い言葉に誘われ、佐奈は指定された喫茶店に顔を出した。いつも会っているあの喫茶店ではなく、もう少し狭い作りのドーナツ専門店だ。
 奥まった座席に着くとかなり密室的なムードがある。
「僕から勝手に指定しちゃって良かったですか?」
 先に来ていた様子の恵介がいつもの爽やかな笑顔を向けて手招きしている。
「私、あまりお店には詳しくないから。逆に嬉しいです」
 顔を赤らめながら佐奈はそう答える。

 二人で同じドーナツセットを頼み、それが運ばれるまで何気ない雑談をする。
 会話はスムーズで、やはり年齢の差は感じなかったし、逆に恵介の方が少し上かなと思わせるような場面もあった。

「結城さんの事、佐奈さんって呼んでいいですか」
 名前を呼ぶのは互いの距離を縮める一歩だ。
 佐奈は普通にそれは歓迎だった。コクリと頷く。
「じゃあ、佐奈さんも僕を好きなように呼んでいいですよ」
 そう言われても、下の名前で呼ぶのは少しためらいがある。
 実は恵介の「恵」という字が元彼と同じなのだ。佐奈は彼を「ケイ」と呼び捨てにしていた。そういう事もあって、恵介の名を呼ぶのは抵抗がある。
 でも、こんな理由を話す事もできず……佐奈は「今のところ今野くんって呼ぶわ」とだけ答えた。もちろん恵介が自分から下の名前を呼んで欲しいなどと強引に言ってくる事はない。

「仕事の日にこうやって穏やかな時間がとれるのって、僕にはとても嬉しい事です」
 ニッコリ笑って、おかわりした暖かいコーヒーを口にする恵介。
「そう……ですか」
 何をやっても王子様的なムードを漂わす恵介。当然多くの恋愛を経験しているんだろうと思わせる仕草や言葉。あまりにも無垢な男性だと、それはそれで大変な気もするけれど……恵介の女性を惹き寄せる力は少し佐奈の心を不安にさせる。
 でも恋のムードは確実に高まっている。それくらい佐奈にも分かる。
 ただ、恵介には1つ恋愛に対する条件があり……この事が佐奈を困惑させる事になる。

「自分からお付き合いを迫っておいて……言い出すのをためらっていたんですが」

 こんな出だしで恵介は「条件」について語りだした。

「今の会社で一緒にお仕事できるのはあと半年だと思います」
「え?」
 まだ新人で、入ったばかりなのに……トータル1年たらずで退職?佐奈は驚いて顔を上げた。
 恵介は冗談を言っているふうはなく、とても真面目な顔だ。
「自分の就かなければならない仕事は全く別のところにあって、その仕事をする為にサラリーマンというジャンルを経験させられているんです」
「……」
 瑠奈の言った通りだった。
 恵介は坊っちゃんで、色々な仕事を「経験」させられているのだ。だから、今の会社もそれほど長くいる必要が無いのだろう。
「それで……多分、僕はその後海外に行かなければならないので」
「海外ってどこですか?」
「ニューヨークです」
 ”ニューヨーク”という響きからして、何となく途方もなく遠い場所な気がする。
 佐奈はマンハッタンの夜景が映画のセットにしか見えないなと思った事があったぐらいで……そんな場所で仕事をしている恵介と自分が繋がっていられるとは考えられなかった。

「恋って刹那的だと思うんですよ。いつだって気まぐれで……どこに流れていくのか分からない」
 恵介の口にした言葉の意味が分からず、佐奈は黙ったまま。
 彼はアンニュイな瞳を窓の外に向けている。親しみやすい恵介が見せた、少し影のある部分だ……。
「僕は“恋”が“愛”に変わる瞬間を見た事がありません。でも、きっとそうなれるベストパートナーはこの世にいると信じてます」
「ええ……」
「誤解を受ける言い方かもしれませんが、佐奈さんと運命で繋がっているなら。僕がどこに行こうと、どういう立場になろうと…きっと続いていけると思ってるんです。こんな立場の人間だという事を理解してもらえますか?」

 これが恵介の出してきた佐奈と付き合う上での条件だった。複雑な立場にいる自分を受け止めて欲しいと……そういう事だ。

 恵介にも分かっているのだ。自分が佐奈と生涯を共にしていける可能性が低い事を。
 自分に課せられた責務の重さも理解しているし、尊敬する父親の為に仕事は捨てられないと思っている。だからこそ、佐奈がどんな女性か十分吟味した上での告白だったのだ。

 この女性となら一生を添い遂げられるかもしれない。

 こんな直感が恵介の心を揺さぶった。
 佐奈は決して目立つタイプの女性ではない。それでも、喫茶店で見せるほんのり暖かい微笑みと透き通った瞳に最高の魅力を見つけた。
 人間との付き合いが多い恵介は、どういう内面を持つ人かという洞察力が鋭い。少しの情報で相手の深い部分を知る能力がある。

 こんな恵介ですら、恋愛というジャンルには未知なものをたくさん感じていて……今回佐奈を気に入ってはいてもそれが「永遠」に繋がるものだという確証は持てないでいる。
 そういう意味で彼は恋愛をいつでも変化してしまう刹那的なものと考えている。
 佐奈を不安にさせようという気は無かったのだけれど、自分の立場や将来のビジョンを少しは彼女に伝える必要があるだろうと思ったのだ。

「色々複雑そうですね」

 疲れる恋はしたくない。
 佐奈の本音はこういうもので……可能なら安らかで波風の立たない恋愛がしたいのだ。でも、今惹かれている男性は間違いなく波乱を呼びそうな人だという事を理解した。
 不安があるからこそ恋なのだろう。
 それは分かっているけれど、もう二度と命を削るような失恋を乗り越える自信が無い。

「始まる前から終わる事を考えても仕方ないですよ」

 佐奈の心を読んだように恵介はそう声をかけてきた。

「少し切ないくらいの方が恋は刺激的ですよ」
「刺激は必要ないわ……私は安らぎの方を求めてるの」

 お互いに恋愛感情があるのは確かだ。でも、恋愛という道の先に見る過程がちょっとだけ違う。
 この差を埋める事は可能だろうか。
 そして、二人で手をとりあっていける道はあるのだろうか。

 答えは未来にしかなくて。
 その答えを出すのは、運命……そして二人の相手を思う深さだろう。

「安らぎを得る為に、少しだけ大胆になってみませんか?」

 どこまでも静かな押しで迫る恵介を拒みきれなくなった。

 “今”が真実ならば、この先に送る時間もきっと真実なのだろう。
 未来に不安を抱えすぎるのは無駄な事だと…恵介は言っている。

 二度目の恋は少しだけ大胆に。
 床に皿が落ちるのを恐がるより、その美しさを手にとる感動を得よう。

 臆病な佐奈。
 刹那的だけれど前向きな恵介。

 この二人の不思議な縁は、未来に複雑な道を繋げながら……進んでゆく。


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