二度めの恋は大胆に


2−3 愛情

 喫茶店で会話したあと……当然恵介はクロード王子に変身しに行くものだと佐奈は思っていた。だから、ちょっと意味ありげな会話をした後の少しの時間に何か深い話がしたくてモジモジしていたのだけれど、恵介は別の事を考えていたようだ。
「実は、今日仕事休んだんです」
「え?」
 ちょっといたずらっぽく笑う恵介を見て、佐奈は驚く。
「クロードを独り占めしませんか……って誘ったの僕ですしね。お店には代わりに明日行く事にしたので。今日はずっと一緒に過ごせますよ」
 この言葉を聞いて、佐奈は思いもかけず心臓が早くなるのを感じた。
 ずっと一緒…という事は、夜もこの青年と過ごすという事だろうか?大人でも、恋愛に慣れてないと唐突な事態に対応できない。
「都庁からの眺めが結構いいのって知ってますか?」
 そう言われてみて、佐奈は東京に住んでいるのに高いところから夜景を見た事が無い事に気付く。
 そんな佐奈の様子を見て、恵介は「是非夜景を一緒に見ましょう」と誘ってきた。
「夜景……綺麗なんでしょうね」
 とても嬉しいのだけれど、どう表現していいのか分からなくて、佐奈はそれだけ口にした。
 なかなかテンションが上がらない佐奈を見ていても、恵介は特にそれを無理に引き上げようとするような事はしない。彼女が心を許すにはステップが必要なのが最初から分かっているからだ。
「狭くてゴミゴミした都会でも、人間が作り出したネオン街というのは…一種の芸術を感じますね」
 自然な感じでそう言い、恵介は最後に残っていた冷めたコーヒーを飲み干した。
 夜までまだ随分時間がある。
 佐奈は何も考えていなかったけれど、恵介はどういうデートコースにすればいいか色々考えていたふうだ。

「今日は近くに車を停めているので…ドライブでもしませんか?」

 東京の街をフラフラ歩いても良かったけれど、二人きりでしんみり話すには車の中の方がいいだろうと判断したのだと言う。
 一度助手席に乗せてもらっていたから、佐奈も警戒する事なくその案に素直に従った。



 二人は喫茶店を出て、少し離れた駐車場まで歩いた。
 恵介と肩が触れるほど近くに並んでいる状態に、佐奈はドキドキしていた。自分の為に色々考えてくれている彼に対し、どんどん好意が大きくなるのを止められない。

 恋愛を成就させる為には、ある意味多少の策が必要だろう。でもその思惑が嘘くさかったり、やり過ぎだったりすると相手は引いてしまうかもしれない。
 恵介はそういう事を自然体で理解しているところがある。特殊な家庭で育ったせいだろうか……

 恵介は、佐奈があまり人が多い場所を好まない事はあらかじめ分かっていた。だから、店に呼んでも彼女が喜ぶような接待をしてあげられないと思ったのだ。
 お酒も強い方じゃないようだし、それならドライブをしながらお互いの事を色々語りあったほうが充実した時間を過ごせる気がして……それで、こういうデートコースになっている。

「佐奈さん、手……繋いでいいですか?」

 あと少しで駐車場に着くだろうというところで、恵介はそっと佐奈に囁いた。

「え?」
「左手……貸してください」

 言われるまま左手を差し出す佐奈。恵介はそれを大事そうに自分の右手で握り、ニッコリ微笑んだ。

「佐奈さんの手、暖かいですね」

 手を握るというのは、名前を呼ばれるよりさらに相手を近く感じるものらしい。付き合うという事になったけれど、いまいち佐奈の中でピンとこなかった部分に恵介はスルリと入ってきた。
 細身の恵介だけれど、手は案外大きくて男性らしかった。
 そのゴツゴツした手を感じつつ、佐奈は顔を真っ赤にする。

「今野くんの手も暖かい」
「喫茶店で十分に暖かいものを飲みましたからね」
「ん……そうだね」

 どうってことのない普通の土曜日を過ごし続けてきた佐奈。
 思いがけず、年下の王子様みたいな男性にアプローチを受けて、彼女の日常は激的に変化しようとしている。
 恋がもたらす幸福感を久しぶりに思い出している。
 先にあるものが見えなくても、今少し大胆になる事で自分の恋愛経験値が少しでも上がるなら、それは人生においても意味のある事だろうと思えた。

 恵介とずっと未来も生きていければいいけれど、もしそれが叶わなくても……後悔しない。

 一度傷ついた心は、いつでも防御壁を作る事に余念がない。
 佐奈は「期限付きの恋人」という事で自分の中に恵介を受け入れる事にした。ニューヨークに旅立つ時、その日がきたら泣いたりしないで彼を送り出そう。それが自分が彼に出来る最良の事だろう……そう考えていた。



 恵介とのドライブは静かながらも快適だった。
 彼は適度に話題を作り、佐奈を退屈させたりしない。それでも言葉に詰まるほどの深い話しは遠慮しているようで、言葉をかなり選んでいるようだ。

「今野くん、本当に私でいいの?」

 ふと、何故恵介がこんなに自分に良くしてくれるのか不思議に思い、佐奈はこんな事を聞いていた。
喫茶店で見かけて、感じがいいと思ってくれた事は聞いていたけれど、それでもこんなステキな青年が自分を心から好きになってくれるものだろうかと……疑うという訳ではないけれど、不思議なのだった。

「どんな植物でも、水だけあげてればいいわけじゃないって知ってます?」

 佐奈の質問に対して、恵介は思いがけない言葉を返してきた。
 うまく答えられないでいると、彼はクスリと笑って話を続けた。

「サボテンとかってほとんど水を必要としてないじゃないですか。でも、愛情をかけないで放置してると枯れてしまうんですよ……これって生き物全体に言える事だと思いますけど。佐奈さんにはもっともっと愛情を注いであげたいなって思ってるんです」
「……」
 失恋から恋愛恐怖症になった佐奈。いい素材を持っているのにそれを発揮できないでいる彼女を見て、恵介は可能な限り彼女の自信を取り戻してあげたいと思っているのだった。
 佐奈はきっと女性としてもっときらめいていられるはずなのだ。
 そんな原石を恵介はしっかりと目に留めていた。
「佐奈さんは絶対誰もが振り向くほど綺麗になります。外見というより、内面からにじみ出るような……そんな魅力を秘めてますよ」
 ここまで褒めてもらうのは初めてで、佐奈もどう捕らえていいのか戸惑った。
 でも、自分を女性として高く評価してもらった事は嫌な気分じゃなく……やはり恵介と一緒にいるのは、とても心地いいなと素直に思ったのだった。

 佐奈に必要なもの。それは、彼女を心から愛でる言葉と行動……それに尽きるだろう。
 恵介は年下ながらも、それを存分に注ぐ能力を持っている。

 余裕の笑みを唇にたたえながら運転する恵介のスマートな横顔を見ながら、佐奈はこの先に待っている甘い世界にようやく心を任せる気持ちになっていた。


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