草食系な君と肉食系な僕
18.コントロール不能
裕子さんが現れて少しした頃、私の携帯に写真付きのメールが送られてくるようになった。
まだハタチそこそこ……といった風貌の芯さんと、スタイルのいい可愛い女性。
名前は書いてなかったけれど、どういう知り合いなのかという事が、わりと詳細に書かれている。
「裕子さん……だよね」
何通か受取った時点で、私はメール受信を拒否設定にした。
過去の女性を見たって揺らがないと彼には言ったけれど、こんなふうにリアルに見せられると気分が悪くなるのは否定できない。
これらの女性が本当に芯さんと関係があったのかという確証は無いけれど。
彼に確かめる勇気は無い。
「そうよ……考えてもしょうがない事だわ」
私がこの頃に彼と出会う事は無理だったし。
あの頃の私は、今よりもっと男性不審だったし。
芯さんにとっても、私のような女は魅力を感じなかったかもしれない。
「時間は戻せない……」
そう自分に言い聞かせるものの、何故か携帯を握る手に涙が落ちる。
悲しいというより、苦しい……かな。
あの人を好きになれば、当然苦しい事がたくさん待っている事を私は知っていた。だから余計遠ざけようとしていたんだけれど。
今、私の心の中には、芯さんがしっかりと息づいてしまっている。
男嫌いだった私の心を解放しながら、体の全てを奪っていく……とても不思議な人だ。
交わりというものが、快楽を伴う強烈な麻薬に似たものだと教えてくれたのも彼。
もう離れられないのは、自分でも分かってる。
だからなんだろう。
苦しい。
人を好きになるって、こんなに苦しい事だっただろうか。
安らぎと喜びを得たばかりなのに、その裏にある暗闇の部分に私はもう触れてしまっている。
「渚ちゃん。泣いてるの?」
キッチンで涙を拭いながらおやつの用意をしている私の後ろに、悠里くんがいた。
「ううん……何でもないよ」
ごまかそうと笑ってみたけど、目が赤くなっているのはどうしようもない。
すると、悠里くんは今までとは違う険しい表情をしてつぶやいた。
「お母さんも嫌いだけど、渚ちゃんを泣かせるなんて……お兄ちゃんだって嫌いだ」
キリッとした目つき。
これは本当に芯さんと同じものだ。
私はまだ10歳にも満たない悠里くんの表情にドキッとさせられた。
異性を惹き付ける天性の才能。
そういうものが、悠里くんにも備わっているのが分かった。
これは社長からの遺伝なのか……そこを押し測る事は無理だ。
「違うの、芯さんが私を泣かせてるんじゃないのよ。あの人は悠里くんをとても愛しているし、私の事も大切にしようとしてくれてる……それは伝わってるよね?」
フォローしようと試みたけれど、悠里くんの険しい顔は変わらない。
「僕……子供だけど、渚ちゃんが好きだよ。今はこんなふうにお世話されないと生きられないけれど……絶対元気になって、将来渚ちゃんをお嫁さんにするから」
「悠里くん……」
健気過ぎる言葉に、また涙が出そうになる。
お母さんの温もりを知らないんだろう。だから、私が優しく接する事で擬似愛が生まれているのかもしれない。
私と悠里くんがどれだけ年が離れているかなんて、彼の中ではあまり重要ではないみたいで。
慕っている芯さんすらライバルにしてしまうほど……私を認めてくれている。
「ありがとう。悠里くんが強い心をを持って、元気に社会人になってくれたら私も嬉しい。ただ、芯さんの事は嫌いになったりしないであげて?」
私が何度も芯さんを味方するから、逆に悠里くんは頑なになった。
「待っててね。お兄ちゃんみたいに、泣かせたりしない。僕、強くなる」
※
複雑な気持ちのまま、日が暮れる。
いつものように、ゲームとアニメに付き合って、悠里くんを寝かせる。
9時だから、私の時間はこれからなのだけれど……何もする気持ちになれない。
「芯さん……」
無意識に彼を待ってしまう自分がいる。
私を好きだと。
私以外は、もう全て過去の事で。何も気にする必要などないのだと。
そう言ってもらいたくて、私は彼の帰りを待つ。
いつから?
いったい、いつから私はこんなに弱くなってしまったの。
獣のように激しく私の体を揺さぶり、息も止まるほどのキスを落とす。
あの人と関係してしまうと”魂ごと持っていかれてしまう”という感覚を、私はようやく気付き始めていて……正に『魔性の男』と言うのに相応しい男性だ。
ちょっとした気の強さが仇になった。
職を探す事に弱気だったから、こんな展開になった。
「後悔してる?」
そんな声が聞こえた気がして、ソファでクッションを顔に押し当てていた私は驚いて立ち上がる。
部屋には誰もいない。
それはそうだ……芯さんは12時近くにならなければ帰らない。
夜遅くても、彼が戻ってから少しだけ会話するのが私は楽しみだった。
軽くキスをして「おやすみなさい」と言えば安らかに眠る事ができた。
そんな安定した生活が、今……確実に壊れかけている。
「お風呂に入ろう」
気持ちを切り替えるなら熱いシャワーでも浴びた方がいいだろう。
そう思って、私は頭から強い圧力でシャワーを浴びた。
心の汚れも、このまま流れてくれればいいのに……。
芯さんに抱いたこの説明し難い感情が、早く消えてくれないか。
そう思いながら、私はいつもより念入りに自分の体を徹底的に洗った。
※
芯さんが戻ったのは11時20分ほどで…私の様子を気にかけてくれて、いつもより少し早く帰ってくれたのが分かった。
「悠里から電話があった」
帰るなり、芯さんが少し疲れた顔でそう言った。
「え、悠里くんが?いつですか?」
「夕方かな……渚が泣いてる……って」
「……」
私に声をかける前、悠里くんは芯さんに電話をしていた。
悠里くんには聞こえないようにと、こっそり泣いていたつもりだったけれど……感受性が強い彼の事だから…雰囲気で全てを悟ったのかもしれない。
「渚」
芯さんはゆっくり近付きながら両手を伸ばし……私を抱きしめようとした。
瞬間、ほとんど無意識に……私は後ずさっていた。
「あ……」
行動してしまってから、私は芯さんがポーカーフェイスのまま猛烈に傷ついているのが分かった。
「僕は渚にふさわしくない……か。そうだな……そうかもしれない」
自嘲しながら、彼は私に触れるのを諦めて階段を登ろうとした。
それをとっさに止め、私は後ろから芯さんに抱き付いた。
「ごめんなさい。私、あなた無しではいられない……それは確かなのに。理屈にならないモヤモヤがあって……自分でもコントロールできないんです」
「……」
彼の大きな手が私の手を包む。
私を傷つけた事で一番つらい思いをしているのは、芯さんなのに……私の心はどうなってしまったんだろう。
この葛藤を知ってか知らずか、芯さんは何も言わなかった。
ぎゅっと締め付けていた私の腕を優しく外し、彼は黙ったまま自分の寝室へ入っていってしまった。
芯さんを傷つけた。
悠里くんも苦しんでいる。
私だって、息をするのがつらいほど苦しい。
「やっぱり恋なんてするんじゃなかった」
言ったってしょうがない事を、私はポソリとつぶやき……このまま彼との関係は終わってしまうのだろうかと、漠然とした不安を抱える事になってしまった。
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