草食系な君と肉食系な僕
3. 赤い糸
女子社員の間で、影沼さんは『怖いけど、いい男』という設定になっている。
ああいう人を好きになったら、とんでもない泥沼になりそうなのに……女っていうのは“危ないカオリ”に弱いのだ。
私は草食系で助かった。
あの人の発する「男フェロモン」はすごいらしく、隣にいるだけでメロメロになる…なんて同期の瑞樹そんな事を言うから。ちょっと笑ってしまった。
「笑ってるけどねえ……いくら草食な渚だって、絶対あの人に口説かれたらやれれるよ」
ランチのサンドイッチを頬張る私に、さらに笑える事を言う。
「ちょっと、食べてるんだから。笑わせないでよ」
「笑わせてないって。ていうかさあ……この前、影沼さんと車で出かけたじゃん?あの時何もなかったわけ?」
女子社員全体が影沼さんの動向を見ているから、私がくっついて車に乗ったのも結構有名になっているらしい。
「何もないよ……恐ろしく冷たい沈黙の中で過ごしただけだよ」
私は本当の事を言った。
彼から甘い言葉が出る事もなかったし、私もそれを許すような空気は作らなかった。
正直「犬猿の仲」ってこんな感じかなっていうほど、嫌な沈黙だった。
「ふーん。影沼さんも、誰でもいいって訳じゃないんだね」
「失礼な事言わないでよ!」
さすがに相手にされない事でこんな言い方されると、私だってちょっとは傷つく。
女らしさという点では確かに少し足りないかもしれないけれど、一応数ヶ月に1回くらい彼氏がいたりするのだ。全く女らしさが無いなんて自分では思っていない。
「じゃ、罰ゲーム……渚が当たると面白いかも」
クスリと笑って、瑞樹がいたずらっ子のようにペロリと舌を出した。
罰ゲームなんて聞いてないから、私は多少焦る。
「何?それ」
「やっぱり知らないんだー。影沼さんに興味ある人なら、誰でも知ってるのに」
「興味なんか無いけど、罰ゲームが気になる。何するの?」
あの影沼氏を交えた会で罰ゲームなんて、想像つかない。
何をするんだろう。
もったいぶる瑞樹から、その罰ゲームの内容を聞いた私は思わず椅子から落ちそうになった。
「ええ!?そんな事、あの影沼氏にさせるなんて……無理だよ?」
驚きすぎの私を見て、瑞樹は笑っている。
「やっぱり渚が当たるべきだね〜。影沼氏との赤い糸で結ばれてる女性は一人だから」
「……」
このゲームをやる事は影沼さんにも了解を得ているらしく、案外砕けたところもあるのを見せてるあたりがまた憎たらしい。
そのゲームでもし私が本当に当たったら、どうなるだろう。
ていうか、影沼氏がどういう態度に出るのか分からない。
「あのさ……今から欠席にしてもいいかな」
急に歓迎会に出る意欲を失った私は、冷めたコーヒーを飲み干しながらつぶやく。
「だめーーー。料理も人数ぶん注文してるし、行かないと損だよ?」
それはそうだ。
5千円はキャンセルしても戻って来ないと言われている。
当たるかどうか分からない罰ゲームを気にして、美味しい料理を棒にふるのはもったいない。
※
そんな感じで……私は多少の不安を感じながらも、歓迎会会場のイタリアンレストランに向かった。
味が良くて、それなりに高級感がありながらもスタイルはカジュアル。
ここを探した幹事は、相当気を使ったんだろうなというのが分かる。
参加者全員で35名。
うち、女性は10人。この少ない女性の中で罰ゲームに当たるのは一人。10分の1か……当たる確率が少ないわけでも無いけど。
まあ、当たったところで……あの影沼さんだ。私なんかお呼びじゃないって事になるに違いない。
「今日はこのような会を開いてくれてありがとう。今日は仕事モードは外して楽しんで」
いつもの影沼さんらしくなく、営業スマイルでニッコリとワイングラスを手に乾杯した。
仕事モードを外しても、能面みたいな顔をしてるのかと思ったけど……お酒が入ったせいか、だいぶ笑顔も自然なものになっている。
「笑うと結構可愛いんだけどな」
思わず私はぼそっとそんな事を言っていた。
“何言ってんのよ!あの冷徹な男に可愛いも何もあるわけないじゃない!!”
自分のセリフに自分で突っ込みを入れる。
私もお酒が入ったから、心の緊張感が緩んでしまうのは止められない。
※
最初はかしこまった感じで始まった歓迎会だったけれど、時間が経過すると同時にだんだん居酒屋にいるのと変わらないんじゃないかという空気になっていた。
もうそろそろお開きか……という時間になって、幹事の一人が突然女性だけに一本ずつ赤い毛糸を配り始めた。
「この端っこ持っててね」
言われるままそれを持つ。
すると、その糸の束が筒に入れられ、出口からは一本の赤い糸が見えていた。
聞いていた通り……本当に赤い糸ゲームをやる気らしい。
10本の赤い糸の中で、1本だけ影沼さんが持つ糸に繋がっていて。
その繋がっていた1本の人は、影沼さんから自由にされてしまう……という恐ろしいゲームだった。
周りはもう砕けモードだし。
この勢いだと、絶対悪乗りした人が「キスしろー!」とか言い出しかねない。
「いや……私はいいですよ」
持っていた糸をパッと離すと、幹事がすぐにそれを握り直しにきた。
「会の一番盛り上がる場面なんだから。とりあえず付き合ってよ」
「そんな」
オドオドしている私を見て、斜め向かいに座っていた影沼さんが笑っている。
あの人、私をいじめて楽しんでいるんだろうか。仕事でも、他の女子社員に対して怒るのとは違う怒り方をする。
冷たいっていうか。
とりつくしまがないというか。
私を嫌っているのかとも感じるけど、それだったらなおの事…このゲームの行方が気になる。
もし、彼が私を嫌っていたとして。それでこの糸が繋がっていたらどうするっていうんだろう。
ちょっとそこには興味があった。
あの人の事だから、「馬鹿馬鹿しい」って言って何もしない可能性もある。
「ま、いっか」
ワインのおかげで、私の頑固な頭も心も軽くなっていた。
とうとう「赤い糸ゲーム」が開始された。
「一人ずつ糸を引っ張ってもらいます。切れてたら、そこでアウトです」
順番的には私が一番最後で。
誰かが先に当たれば私は何もしなくても終了という訳だ。
そして、一人ずつ糸を引きはじめた。
5人引いて、全て外れた様子……だんだん緊張感が高まってくる。
『まさかだよね。まさか私に繋がってるなんて無いよね』
少しずつ私も焦ってきた。
酔っていた頭がクリアになり、汗が出るほどに……緊張してきた。
「8人目も外れましたねえ……あとは残すところ二人になりました」
幹事の言う通り。
私と、隣の海野ちゃんだけが残った。
海野ちゃんはまだ24歳で、影沼さんのダンディーなところに惹かれているらしく……どうせならもうこの子で決まりにしてしまってよという気になっていた。
「当たりますように!」
罰ゲームなのに当たりますようにっていうのはおかしいなって思ったけど、海野ちゃんが何か可愛く見えたから、私も彼女が繋がっている事を願った。
しかし……彼女の引いた糸は、ぷっつりと切れてテーブルの上に落ちた。
「え……ちょっと、嘘よね?」
私はこのゲームは実は一本も繋がってないという落ちなのかと思って、思いっきり紐を引いてみた。
「痛い!」
指に巻いていた糸が引っ張られ、影沼さんが一瞬顔をゆがめた。
私が持っていた糸が……見事に彼のと繋がっていた。
会場は、待ってましたと言わんばかりにドッと湧いた。
「影沼さんー小島さんですよ〜。どうしますかー?」
「すっげーいい組み合わせ」
「影沼さんキスしちゃってくださいよーーー」
やっぱり、普段私達がバチバチなのが分かっている同じ営業の仲間が冷やかし始めた。
いくらなんでも、上司と罰ゲームとはいえ……キスなんかできるわけないでしょ。
「冷やかすのやめてくださいよ!ねえ、影沼さんも迷惑ですよね?」
同意を求めるように彼を見た。
「いや。別に……キスくらい平気だけど?」
「は?」
私の目は点になった。
影沼さんの目つきが肉食獣のように見えたのは気のせいだろうか。
職場ではほとんど口もきかない私達だ。
キスなんてあり得ないでしょう。
うろたえている間に、彼は席を立って、私の場所まで歩いてきた。
「小島さんと赤い糸で結ばれてるなんてね……面白い」
「な、何が面白いんですか」
「見るからに草食な君を見てると、懐柔してやりたくなるよ」
他の人に聞こえない程度の小声で彼はそう言い……そのまま顎をくいっと上げられたかと思うと、思いっきり豪快なキスをされた。
キスというより……食べられた……みたいな?
周囲は悲鳴とひやかしで大騒ぎだし、私は目の前が真っ暗になって気絶するしで。
この会は、後々まで伝説になるのだった……。
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