草食系な君と肉食系な僕

5. 突然の……

 クリスマスも終わって、平凡な日々がまた始まる。
 まあ……私の日常なんて、つまらないものだ。
 朝、お兄ちゃんと甥っこにご飯を食べさせて…送り出す。その後を追うように自分も支度をして会社に出かける。
 お化粧にはあまり興味はなくて……服装も無難なものばかり。
 満員電車に乗ったって痴漢にあうこともない。
 それで、普通にお仕事をして……普通に帰る。

「あーーー私、これでいいの!?」

 パソコンの前でそう叫びそうになる。
 今日は朝から頭が痛くて、いまいち調子が悪いのも手伝ってイライラしていた。
 気分を変える為に、自動販売機のある休憩室に行く事にした。

「お願いします、あと半年でいいんです。更新してくれませんか」

 休憩室隣にある会議室で、同じフロアで働く野崎さんの声がした。
 この人は派遣契約で入社してきた人で、プログラミングの腕を買われていたようだったけれど、いったい何があったんだろう。
 いけないと思いつつ、私はドアの前で聞き耳をたてる。

「プログラムは外注した方が安いんです。今あなたに時給1600円も払うよりね」
 冷たく言い放ったのは、当然影沼さんだ。
 どうやら今流行りの『派遣切り』ってやつらしく、野崎さんはその餌食になりそうなのだというのが分かった。
「じゃあ時給下げてくださっていいです。お願いします……家族がいるんです」
「交渉は派遣会社とやってるんで。あなたと直接お話しするのはあくまでも僕の善意なんですけど……分かっていただけないようですね」
 涙ながらに訴える野崎さんの方を見ないで、外をぼんやり眺めながら影沼さんは気の無い言葉をどんどん口にしている。
 とたん、イライラしていた私の頭のスイッチがカチッと音を立てた。

「失礼します!すみません、今のお話聞いてしまいました」

 私が突然怒鳴りこんだから、野崎さんは驚いた顔で私を見た。
 当の影沼さんは、アンニュイな目のまま外をぼんやり見ている。私の言う事なんて聞く耳持たないっていうところだろうけれど、ここは我慢してられる範囲じゃない。
「野崎さんのおかげで完成した難しいプログラムがたくさんあるのご存知ですよね?毎晩遅くまでサービス残業して……契約した時間以外は働いてはいけないのに、頑張ってらっしゃいましたよ?」

「……それで?」

「え?」
 影沼氏は、私の言葉を聞いてなかったかのような反応を見せた。

「頑張ってるから。難しいプログラムを組めるから。ふん……それで野崎さんを救って満足かい?」

「どういう事ですか」
 彼の冷徹過ぎる顔に、やや寒気を感じつつ…私は頑張って続きを聞いた。

「野崎さんの時給を削る事で会社の子会社1つが救えるかもしれない……そういう比率考えた事ある?」

「……」

 子会社が1つ潰れれば、当然何十人かの仕事が奪われる事になる。
 でも……やっぱり影沼さんのやり方は人間として同感できない。
「小島さん……もういいですから。ダメなのが分かっていて話を無理やり聞いてもらっていたのは僕の方なんですから」
 私と影沼さんの様子を見ていた野崎さんが、仲介に入ろうとしている。
 野崎さんが折れてしまったら意味がない。
「こういう時、労働組合とかに関係ない派遣の人は犠牲になるんですよね……社会って本当に理不尽にできてるわ」
「本当に、もういいんです。じゃあ……影沼さん、大変失礼しました」
「悪いね……こっちも必死なんです」
「分かってます」
 勝手に話を完結させ、野崎さんは私を残して消えてしまった。

 残された二人の間に流れる空気は、そりゃあもう……きまずいなんてもんじゃない。
 でも、私は彼に謝る気は全くない。これでクビになったって構わないくらいの覚悟でその場を動かなかった。
 すると、思いもかけず……影沼さんは笑い出した。
「何笑ってるんですか!?」
「いや、小島さん……何か君って天然記念物みたいな人だね」
「?」
「いまどき、他人の為に自分の身を危険にさらす人なんていないよ?」
「はあ……」

 私の性格はちょっと不思議だと言われる事は多い。
 筋の通らない事は嫌いで、いっそ男に生まれた方が良かったんじゃないの…って兄に言われる事も度々だ。
 まるで死滅した侍魂を持った人間でも見てるような感じなんだろうか。
 自分がちょっと普通の女の子と違う感じがするのは自覚しているけれど。

「うん、気に入った」
「は?」

 影沼氏は椅子から立ち上がり、カツカツと私の目の前まで寄ってきた。

「な、何ですか?」
「君は、今日でクビだ」
「はーーーー!?」

 私の声は多分全フロアに響いたであろうことは想像できたけれど、それどころではない。
 野崎さんより早く私は仕事を解雇されそうになっているのだ。

「話を最後まで聞いて。この会社の仕事は辞めてもらう。その代わり、僕のうちの家政婦になれ」
「影沼さんのお宅の?」
「うん。うち、一応デカイ屋敷なんだけどね……他人と暮らすの好きじゃなくて全然手入れしてないんだよね。まあ、小島さんが器用だとは思ってないけど……住み込みでひと月手取り20万。どう?」
「う……」

 この条件は美味しかった。
 今、カツカツ働いても手取り16万くらいにしかなってないのだ。
 しかも兄からは早く出て行け的な扱いになってるし……甥っこの事は気になるけど、夕方少し寄って様子を見るくらいはできるだろう。

 ただ、1つ問題がある。
 たった今、とんでもなく険悪なムードだった私達が……一緒に暮らすという事実。

「クビは決定なんですか?」
「ああ、決定だね。反抗してみてもいいけど、無駄だと思うよ」
「……」

 確かに、この人の命令に背いたとしても……ナンダカンダ理由をつけられてクビになるのは目に見える。敗退した私に選べる道は1つしかない…と。
 とんでもない策士。
 とんでもない上司。
 で、このままいくと、彼は……最悪なご主人様になるの?

 自分の軽率な行動が自分の人生を大きく変えようとしている。
 この事態に、どう対処していいのか……頭の中は真っ白になった。


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