草食系な君と肉食系な僕
2−2 二人目の野獣
私の誕生日は1月20日で、毎年兄と甥っ子が地味に祝ってくれていた。
今年の私を祝ってくれる人……正直、きっと今年は芯さんとひっそり二人だけのデートができたらいいな…なんて思っていた。
芯さんの行動は強引で、困らせられる事が多かったけれど、女性のエスコートに慣れている彼と一緒に食事したりするのは好きだった。
特別素晴らしいご馳走を食べなくても、何気ない会話でワインを少しずつ飲む夜。
夜の芯さんは、妖艶で……見ているだけでドキドキするのだ。お酒が入った状態で彼と一緒にいると、自然に体が火照ってくる。
「芯さん……」
洗濯する為に籠に放り込まれた彼のパジャマ。思わず胸に抱きいれ、彼の温もりが少しは伝わってこないかと必死になる。でも、彼の香りはすれど、温もりと呼べるほどのものは何も感じられない。
息も止まるほどのキス。
体の奥からこみあげる快楽を引き出すセックス。
あの人は、男嫌いな私を揺らし続け……とうとう食べ尽くすところまで浸食してきた。
「ずるいよ。これだけ夢中にさせておいて、記憶が無くなるなんて」
涙が心を軽くしてくれるなら、いくらでも泣きたい。でも、私の中では涙によって流れるのは、ほんの少しの寂しさだけのような気がして……思いっきり泣けない。
溜め息をひとつついて、洗濯機をまわす。ゴウンゴウンと音をたて、衣類の汚れを落としてゆく。人間の心も、こんなふうに綺麗に洗い流してくれるシステムがあったらいいのに……私の中にだけ芯さんは生きていて、彼の中の私は遠い記憶の彼方なのがつらい。
「渚」
名前を呼ばれ、すぐに芯さんだと思った私はハッと顔を上げた。でも、見上げると…そこにいたのは、綾さんで……顔は似ていなくても、やっぱり二人は兄弟なのだと分かった。
「名前、呼び捨てしてみたかった。ビックリした?」
「ええ……」
「そうだよね、呼び捨てするのって芯だけだもんな」
いたずらっぽくそう微笑み、綾さんは洗面所に立った。出かける前らしく、入念に髪型を整えている。
「私、失礼します」
泣きかけていた顔を見られたのが恥ずかしくて、私は洗濯機がまわっているのを確認して、その場を去ろうとした。
「待って」
結構鋭い声で引き止められ、思わず足を止める。
「午後から予定入ってる?」
「え?いいえ……夕飯の用意まで特に何もありませんが」
芯さんが作ってくれていた夕飯。今は私が力不足ながら頑張って作っている。悠里くんも、私が作ったものなら比較的食べてくれるから、安心した。
そんな私が過ごす平日の予定。だいたい午後3時くらいまで少し暇ができる。
綾さんからの申し出に驚いて正直に答えてしまったけれど、午後はずっと忙しいとか言うべきだったかな……そんな事を思っても遅くて。綾さんは、すかさず誘いをかけてきた。
「君さ、今日誕生日なんでしょ?外でランチでもしよう」
「え?いいですよ、別に祝っていただくほどの年齢じゃないですし」
私の誕生日を何で知ったのか分からなかったけれど、綾さんと外出するなんて考えられなかったから、私は速攻で断った。でも、強引なのは芯さんと同じで、彼は私のペースなんてまるで無視だ。
「自分が生まれた日って、特別だよ。何歳かなんて関係ないでしょ。いつも家事でお世話になってるお礼もしたいんだ。一緒に出かけてくれるよね?」
「……」
強引さはあっても、命令形じゃないのは、芯さんとの違い。
柔和に微笑む綾さんは、外から見たらソフトな美系青年だ。でも、この人の中には、芯さんにも負けずと劣らない野獣が潜んでいるのを私は知っている。
こういう野獣タイプに弱い自分が悲しい。結局……ランチを断る理由が見つからなくて、私は綾さんとランチに出る事になってしまった。
※
芯さんが選んでくれたオレンジ色のワンピース。
これを着たのは、彼と食事をした時一回きり。大切にしすぎて、着るチャンスを逃していた。
綾さんと食事に出るという事は、多少芯さんを裏切ってしまう感じもして……それで、わざとこのワンピースを着る事にした。
「それ、芯のプレゼント?」
何も言ってないのに、綾さんはドンピシャに当ててきた。驚いて声も出せないでいる私を見て、彼はクスッと笑った。
「何で分かったのか……って、分かりやすいほどの反応」
「笑わないでください」
馬鹿にされている気がして、面白くない。
ブスッとした私を見ても特におかまいなく、綾さんは高級外車の助手席を開けて、私をエスコートした。
「まあ、ご機嫌を直して。どうぞ乗って」
ほとんど無理やり車に押し込まれるように、私は綾さんの車に乗ってしまった。
芯さんの車でも思ったけれど、内装も高級で……座席に座ったとたん心地よいクッションに体を包み込まれる。
静かなエンジン音のまま、すーっと車は走り出した。
「……何で芯のプレゼントだって分かったか、理由知りたい?」
少しの間黙ってハンドルを握っていた綾さんは、そんな事を言ってきた。私はそれに対して特に何も答えず、黙って景色の流れるのを見ていた。
「渚ちゃんってさ、基本的に地味でしょ」
「そうですか?」
何を言い出すのかと思ったら、かなり失礼な言葉で驚く。私は自分が地味だなんて特別意職した事はない。単に男性に興味の薄い人種だとは思っているけれど、綾さんからこんな言われ方するのは納得がいかない。
「まあ、怒らないで。地味っていうのは、趣味の事。洋服を選ぶとき、自分を引き立てる素材を選ぶのが下手なのかな……って言いたかったわけ。そのオレンジのワンピースはいつも君が着ている洋服の数倍君を輝かせてるよ」
褒め言葉なんだろうか。
でも、芯さんに選んでもらったこの洋服を褒められるのは嫌な気分ではない。
「というわけで、芯からのプレゼントを着てられるのは嫌だから……食事の前に洋服を買おう」
「え?」
予想もしていなかった事態。芯さんから贈られたこのワンピースを褒められたと思ったら、次はそれを脱いで欲しいと?
「いえ。この服でいいです。あまり高価なものは欲しいと思わないので」
私が強い調子で綾さんの申し出を断ろうとしているのに、彼は何だかニヤニヤしていて……全然打撃を受ける様子はない。
「聞いていた通り、簡単に堕ちるタイプじゃないんだ。ますます燃えるね……芯から君を奪いたいっていう気持ちに火がついたよ」
不敵な笑みを見せ、彼はグンと車のスピードをあげた。
何か言おうと思ったのだけれど、そのスピードに息が止まりそうになった。結局、車のエンジンが止まるまで私は何も言葉を口にする事はできなかった。
「体の線を隠すものより、多少タイトな方が色気が出ていいよ」
何がなんだか分からない状態で、私は百貨店のブランドショップに入っていた。
芯さんが選んだところとは違って、かなり大人っぽい洋服の並んだ店だ。そして、私の為に綾さんが選んだのは、スリットの入ったタイトスカートと、フリルが上品にあしらわれたブラウス。それにプラスしてスカートの色に合った暖かそうなジャケット。
鏡を見ると、さっきまでの自分とは全く別人になっていた。
芯さんが私の中に見つけてくれたものと、綾さんが見つけたものは違うようだ。でも、これはどちらも私……。決して似合ってないわけじゃないのが、ちょっと悔しい。
「今の渚ちゃんなら、僕の隣にいても全然引けをとらないと思わない?」
鏡を一緒に覗き込みながら、綾さんはそんな事を言う。
彼は自分が他者より容姿がいい事を自覚していて、それでいてその自信が彼の魅力にも繋がっている。私にちょっかい出してる時間が無いでしょう……と、言いたくなるほど女性にはモテているみたいだ。
「体を飾るもので、人間の価値って決まるんですか?」
綾さんと並んで似合う自分になれたからといって、決してそれは私の魅力ではないと思ったから、素直にそう言った。
ブランドに身を包んで、それで自分が高級な人間になったと思えるほど私は単純じゃない。逆に、ブランドじゃない洋服でも輝いていられる人間でいたい。その魅力を理解してくれる人はこの世に一人でいいし……。
「いいね…渚。君は思ったより上質な人間みたいだね。このブランド服ではしゃぐようだったら、さっさと捨てるつもりだったけど。もう少しいじってみたくなったよ」
「……」
猛毒注意の綾さん。本性が出た。
彼は私を気に入って食事に誘ったのではない。芯さんがいいと思った「理由」を知りたくて、私を試しているのだ。それで、興味があれば飽きるまでのおもちゃにでもするつもりなんだろう。
「私はあなたをお世話する仕事はしますけれど、だからといって人形になるつもりはありません」
こんな人と食事なんかする気になれない。屋敷からは離れた場所に来てしまったけれど、電車で帰れない事もないだろう。
私は、試着していた服を脱ごうとした。するとその手を止め、綾さんは試着室の中で私にキスをしてきた。
「!」
芯さんを彷彿とさせる、強烈なキス。食べるように唇を奪われ、さすがの私もパニックになった。
「キスの味も気に入った……渚、これは命令だ。今日はこのまま僕の予定に付き合ってもらう」
「……そんな」
ボウッとなった頭で考える。こんな場面を今の芯さんが見たら、どう思うんだろう。多少やきもちを妬いてくれるんだろうか。
芯さん。
早く記憶を取り戻して、元のあなたに戻って。
そうでなければ、私は綾さんにどうされてしまうのか分からないよ……。
悲しみの蓋はそのままで。
涙が出ないまま、私の心は……静かに泣いていた。
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