草食系な君と肉食系な僕

9話 永久なるもの

「芯さん。何があったの」
 首筋に強いキスをしてくる芯さん。その刺激は以前と同じく甘いものだったのだけれど……心の準備ができてない私は今これを受けることはできなかった。
「聞くなと言っただろう」
「でも、ちょっとくらいお話してくれても……」
「……」
 私の目をじっと見る芯さんの瞳。
 何も映っていない。彼の瞳には怯える私の顔は映っていたけれど、彼の感情と思えるものが何もなかった。
「やめて!」
 私の抵抗を聞かず、どんどんことを進めようとする芯さんを私はおもいきり突き飛ばした。そのはずみで、ワインボトルが一本ゴロゴロとドア付近まで転がった。
 気まずい沈黙が私たちを包む。
「……」
 何も言わないで芯さんはそのワインボトルを拾い上げ、そのままキュッとコルクを抜いた。
「赤は常温でも味がそれほど落ちないからいいよ」
 独り言のようにそれだけ言って、彼は口の端からワインをしたたらせ……ゴクゴクと喉を鳴らして飲み下した。その様子がまるで飢えたライオンのようで……私は背筋がゾクリとするのを感じた。
(ダメ、芯さんが壊れかけてる)
 そう感じた私は、彼から瓶を取り上げ自分で残りの全てを飲み干した。彼がもう一滴も飲めないように……。
「何するんだ」
「普通の酔い方じゃない……何があったんですか!?」
 鋭い声でそう言うと、彼はフッと陰りのある顔を横に向け、窓の外を見た。
「渚は相変わらずドストレートだな。お前みたいに生きていられたら、どんなにいいかと思うよ」
 こんな言葉、芯さんらしくない。
 私をいつだってリードしてて、いつだって大きく包んでくれるはずの芯さんじゃない。
「なぁ、綾はどうだ?優しく抱いてくれるか?」
 まだ強引に私を抱きしめようとする彼の腕から必死に逃れた。
「いい加減にしてください!」
 パシリと音が鳴り、私はとっさに芯さんの頬を叩いていた。
 彼はそれっきり黙り込む。
「……ひどいです。私、芯さんの事しか考えていないのに。あなたしか心にいないのに。そうやって疑うなんて……あんまりです」
 実際綾さんとは何もないし、私の性格上彼とそういう関係になっていたのなら芯さんの前にこうやって平気で現れたりしない。
 それを分かってもらえないのが何よりも悲しい。
「じゃあ……」
 顔をおもむろに上げ、私を見つめる芯さん。
「僕が他の女を抱いたらどう思う?」
「え?」
 彼は真剣なまなざして私を見ている。冗談や嘘ではなく、本当の心を語っている。
 それが分かって、私の体からスッと血の気が薄れた。
「俺の血が必要なんだ。そして、その血を残すのは……お前とでは駄目なんだ」
「……」
 最初、言っている意味が分からなかった。彼がこれだけ真剣に言うのだから嘘ではないのだろうけれど。ゆっくり彼の言葉を自分の頭で再現してみる。
(つまり……芯さんは別の女性と結婚して子供をもうけるっていう意味?)
 言葉には出せなくて、彼の目だけを見た。
 誤解ではない……それが真実だと芯さんの目が言っている。
 急激に動悸が激しくなり、体に変な汗が噴き出してきた。
「う、嘘ですよね?私、芯さん以外の男性に抱かれたりなんかしないし……綾さんだってそれは分かっていて何もしてないんですよ?」
「だろうな。綾はあれで潔癖症だ。僕への当てつけで渚を奪っておいて、手出しはできないだろうと思ってはいたよ」
「じゃあ、どうして私を責めるんですか。それに、どうして突然そんな話を始めるんですか」
 耐えられず、涙が溢れた。
 彼を思って、恋しくて流した涙とは違う。悲しみの涙だ。
「僕は冷酷なんだ……分かってるだろう、会社の為にどれだけの人間を不幸にしてきたか。今度はその対象がお前になった。ただそれだけだ」
「……」
 言葉を失う。
 私は彼を随分理解してきたつもりだ。冷酷な時の彼は、手段を択ばないのも知っている。
「芯さんは、私に愛人になれっていうんですか」
「お前を失うなんて考えたくない」
「それは愛じゃない、ただの執着ですよ!」
 私が涙ながらに自分の悲しみを訴えても、彼は私の目を見ようとはしない。
 ここまで殻に閉じこもってしまったら、なかなか本来持っている彼の弱くて優しい部分を引き出すのは簡単ではない。少し会わなかっただけで、彼をとりまく状況は随分変わってしまったようだ。
「強く言ってしまってごめんなさい……芯さん。理由があるなら言って。お願い」
「……」
 語るべきか悩んでいる芯さんの手をそっと握って、私は「大丈夫、私は離れませんよ」と、声をかけた。すると、ようやく彼の顔色が少し良くなり、閉ざしていた心を見せてくれた。
 でも、芯さんの心の内を聞いて、彼は自分のものにだけはできない人なのだという事を思い知ることになった。

 ベッドサイドに座って、彼はふぅと一息ため息をついた。
「綾に社長をやれって言ったんだが、あいつは体が丈夫じゃない。親父がそれを許さなかった……それで、後継者の問題になってな」
「悠里くんがいるじゃないですか」
「悠里は親父が気に入ってない。理由は分からないが、母親が誰だか分からないという子供を後継者にはできないと言うんだ」
「……ひどいわ」
 以前から思っていた。
 芯さん、綾さんを操っているお父様の存在を。
 どれだけ偉い人なのか分からないけれど、その強大な力を乗り越えなければ、芯さんにも綾さんにも真の幸せはやってこない。
「お父さまに抗うとか、考えた事はないんですか?」
 床に散らばったものを拾い上げながら私はつぶやくようにそう聞いた。
「お酒を飲んで誤魔化しても、現実は消えないんですよ。芯さんが本当に大切にしたいものは何なんですか?」
「……」
 私の言葉を聞くともなしに聞き、芯さんは今度は笑い出した。
「何がおかしいんですか」
「お前はまだ分かってない……僕の父親がどれほど恐ろしい人間か。万が一僕が渚を大事にしたいと言ったとする。そうしたらどうすると思う?」
「どうするんですか」
「誰にも分からないように、お前を抹殺するだろう」
「……」
 詳しくは分からない。
 でも、この世には日の当たらない世界があって。そういうブラックな世界と影沼家は完全に結びついているのだと悟った。
 逃げても逃げても、必ず居場所は突き止められ……消される。
「同じ事を、実際の息子である俺にも躊躇なく執行できる。そういう人間なんだ……親父は。そういうかたちでこの世から消されたくはない。でも、方法が見当たらない」
 元々孤独と闘ってきたところのある芯さんだけれど、これを告白したのは私に精一杯危険を回避させたいという気持ちからだというのが分かった。
「分かりました。芯さん……私の目を見てください」
 私は芯さんの前に立ち、そっと彼を見上げた。
 切れ長の整った涼しい眼差し。瞳の奥には、やはり少しだけまだ温かく灯る火があるのが分かった。それを見たから、私は自分の中で大きな決意をした。
「芯さん。私はあなたを愛してます、だから、ずっとお傍にいます。例えあなたが別の女性を抱いたとしても……です」
 この言葉に、彼は大きく目を見開いた。
「渚……」
「だから、私の前では弱くなっていいんです。甘えていいんです。私、芯さんを置いてどこかへ行くなんてできません」
 ここまで言ったところで、彼は私を息もできないほど強く抱きしめた。
「渚!僕は、僕は……お前を!!」
「分かってます。私も同じ気持ちです……」
 泣いても流れきる事などないだろう悲しみを、私たちはそれでも泣く事でしか感情を薄める事はできなかった。

 愛は永久なるもの。
 朽ち果てたり、色あせたりしない、唯一無二の心のダイアモンド。
 この世には正しい愛のあり方というのがあるのかもしれないけれど……今の私はそんな決まり事、どうでもいいと思えていて。
 ただ、目の前にいる愛しい男性の為に存在していたい。
 この人を永遠に愛し抜きたい。

 その気持ちだけが私をギリギリのラインで支えていた。


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